
この最新作でベルイマンが発見したのは、カーリン役のユーリア・ダフヴェニウスだが、まるで初期の傑作『不良少女モニカ』のハリエット・アンデルソンを思わせる溌溂としたエロティックな肢体は、登場しただけで画面に生々しい官能性が息づくかのようである。たとえば、マリアンとカーリンがワインを飲み、談笑しながら、夫や父親をこき下ろす場面には、女性同士の密やかで打ち解けた柔らかなトーンが画面に漂い、至福感に包み込まれるような魅惑が溢れている。
とくに、突然真っ赤な壁をバックに登場し、あるいは真っ赤な服を着て祖父に会いに行くカーリンは、全篇が真紅のイメージで統一されていたベルイマンの『叫びとささやき』で幽閉されていたハリエット・アンデルセンを否応なく想起させる。
一方でトリュフォーが指摘したごとく、ベルイマン作品に登場する男たちは自意識が強く、観念偏重型で融通がきかず、ユーモアのかけらもない、メランコリックな孤独に沈潜するタイプばかりである。この映画でも、ヨハンとヘンリックは双生児のように似ており、会えば、あたかも近親憎悪のように侮蔑の言葉を吐き、罵倒し合うのである。とくに、ヘンリックは妻のアンナが病死して以後、チェロの才能を持つ娘のカーリンを異様に溺愛し、音楽学院のオーディションに備え一緒に練習に励むのだが、その根底には畸形的な愛が仄見える。

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